四十九代光仁天皇の御時、井上内親王、早良親王および他戸親王が、藤原百川に濡れ衣を着せられて、当國宇智郡に流され給う。
しかも井上内親王は懐胎され、臨月に入っておられ、痛みに耐えての道中であった。大岡郷栗野という山陰に隠れ居たところ産気づき、難産の痛みに苦しんでいた。
そのとき、一人の老人(実は国生明神の化身)が進み出て、「この山の向こうに霊験あらたかなる観音菩薩がおられる。寺号は安生寺と申す。国生明神との縁で役行者が建立され、その役行者に帰依された文武皇后が、役行者の勧めで男子の誕生を祈願したところ、霊験違うことなく、皇子が、しかも安産でお生まれになった。
その皇子こそ、あなたの父親であり、のちの聖武天皇ですよ。」と、安生寺の本尊である十一面観音菩薩の子授け・安産のいわれを語り、「難産を安産に転づることも叶うのですよ」と。
故にひとは皆、“子安観音”と呼んでいるのですよ、とも。「観音様の方に向い給いて御祈念しましょう」と申上げた。井上内親王は老人の話に納得され、・・・手水を召して南無帰命頂禮(なむきみょうちょうらい) 十一面観音願わくは皇子安穏にして誕生あらしめ給えと至心に祈り給えければ時刻をうつさず皇子誕生安らかなり・・・というなりゆきで、見事に若宮皇子を苦しむことなく安らかに出産したとのこと。
以上、和州宇智郡安生寺略縁起(元禄16年) 抜粋によります。御歳57歳の高齢出産をしかも安産でなしえたということ。まさに、子安観音の霊験あらたかなりです。