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子安観音

子安観音

聖武天皇の長女にして光仁皇后であった井上内親王(いのえないしんのう、もしくは、いがみないしんのう)の高齢出産伝説。 都を追放され当地(旧・宇智郡)にいたる途上で産気づき苦しむ内親王が、老翁の姿で現れた国生明神に導かれ、安生寺の観音菩薩に祈願し、安産で男子を出産。 これを機に当寺の観音菩薩は子安観音と呼ばれるようになったそうです。

井上内親王

国生寺あらため安生寺。 霊験あらたか。 子授け・安産のお寺として評判を博す。

当寺、神光山安生寺は創建当初、神光山国生寺と呼ばれていました。 創建したのは修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ、別名役の小角)で、飛鳥時代終わり近くのことです。

まもなくして飛鳥時代の終わり頃、文武天皇の皇后が役行者に帰依し、男子の誕生を役行者に相談したところ、神光山国生寺の本尊、十一面観音菩薩に祈願するように指示され、その通りにしたところ、見事に皇子(後の聖武天皇)が、安産で誕生したので、天皇が大いに歓び、寺の名前を、子授けと安産にちなみ、神光山安生寺に改名させました。

このいきさつについては寺伝にこうあります。

文武天皇の御代、大寶元年(701年)に、皇后の藤原ノ夫人(藤原不比等の長女)が役行者の神験(神の霊験)が評判なのを聞きつけ、密かに貴命ありて(命令して)男子の懐妊を祈願しました。 願わくば大行者加持を励まし給えと・・・つまり、お願いだから霊験でもって願いを叶えてほしい・・・と。 そこで役行者が言うには、神光山国生寺の本尊である十一面観音菩薩に祈願されるのがいいと。 早速、十一面観音菩薩に祈誓したところ、 ほどなくして、藤原ノ夫人の夢に、南の方から光明輝きてひとりの比丘(びく、僧侶)が来て夫人に告げて曰く、「若有女人設欲求男」と。 「にゃくう にょにん せつよく ぐなん」 字面だけ見るとドキッとしますが、観音経の一節にもあって、女の人が男の子を産みたいと欲してしつらいを正し云々・・な感じでしょうか。 で、夫人夢覚めて信心肝に銘ず。 果たして皇子を誕生するを得給えり。 お悦び、斜ならず(ななめならず、ひととおりではない)・・・と。 そしてその皇子こそ、其れ則ち東大寺大佛殿の御願主であられる聖武天皇の御事なり。 このことによって、国生寺を改めて安生寺と号す。 お産が平安なることにちなんだものである。 役行者がいうには、安生寺の本尊である十一面観音菩薩に祈願すれば、難産から母体を守護してくれ、五体不具合なることもないと。
その後、聖武天皇は受禅(天皇に即位)し給いて、天平9年()春、安生寺の伽藍、悉(ことごと)く建立ありて、天長地久の御願寺となる。 つまり聖武天皇は即位後、勅願によって七堂伽藍を建立し、安生寺を御願寺としたわけです。 (和州宇智郡安生寺略縁起より)

ところで、聖武天皇の長女、井上内親王が57歳!!で高齢出産を安産で成し遂げたのも、縁あって、安生寺本尊の十一面観音菩薩に祈願したことによります。 そのころには、子安観音と呼ばれていました。 子授け、安産、そして高齢出産にも霊験あらたかな安生寺の子安観音さまです。

十一面観音菩薩像

四十九代光仁天皇の御時、井上内親王、早良親王および他戸親王が、藤原百川に濡れ衣を着せられて、当國宇智郡に流され給う。 しかも井上内親王は懐胎され、臨月に入っておられ、痛みに耐えての道中であった。 大岡郷栗野という山陰に隠れ居たところ産気づき、難産の痛みに苦しんでいた。 そのとき、一人の老人(実は国生明神の化身)が進み出て、「この山の向こうに霊験あらたかなる観音菩薩がおられる。 寺号は安生寺と申す。 国生明神との縁で役行者が建立され、その役行者に帰依された文武皇后が、役行者の勧めで男子の誕生を祈願したところ、霊験違うことなく、皇子が、しかも安産でお生まれになった。 その皇子こそ、あなたの父親であり、のちの聖武天皇ですよ。」と、安生寺の本尊である十一面観音菩薩の子授け・安産のいわれを語り、「難産を安産に転づることも叶うのですよ」と。 故にひとは皆、“子安観音”と呼んでいるのですよ、とも。 「観音様の方に向い給いて御祈念しましょう」と申し上げました。 井上内親王は老人の話に納得され、・・・手水を召して南無帰命頂禮(なむきみょうちょうらい)十一面観音願わくは皇子安穏にして誕生あらしめ給えと至心に祈り給えければ時刻をうつさず皇子誕生安らかなり・・・というなりゆきで、見事に若宮皇子を苦しむことなく安らかに出産したとのこと。 以上、和州宇智郡安生寺略縁起(元禄16年)抜粋によります。 御歳57歳の高齢出産をしかも安産でなしえたということ。 まさに、子安観音の霊験あらたかなりです。

子持ち石(子安石)

当寺は、各地で安産の石とされている“子持ち石”とも深い縁があります。 寺の東を流れる宇智川には金剛山地から流れに乗って運ばれてきた子持ち石が多くみられます。 この子持ち石は学術的には和泉層群という地層を構成し、中生代白亜紀の終わりごろに、川で運ばれた大量の玉石・砂利・砂が陸に近い海底に堆積し、8000万年の年月を経て固結し岩石となったもので、専門的には礫岩と呼びます。 和泉層群の礫岩は、赤、緑、白など彩り豊かな玉石がぎっしり詰まっているのが特徴で、珍しく、かつ大変にうつくしいものです。 安産の石、子持ち石と、安産のお寺、安生寺。 ただならぬご縁を感じぬにはおられません。

子持ち石スポット
―――藤岡家住宅―――
NPO法人うちのの館 登録有形文化財「 藤岡家住宅 」