安生寺の縁起
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安生寺の縁起

千三百年の祈りと奇跡
安生寺の歴史は、
千三百年前に始まりました。
修験道の祖・役行者が啓示を受けて創建し、
聖武天皇誕生の奇跡を祈願したこのお寺。
時を超えて今も多くの人々の
祈りを受け止め続ける、
この特別な場所の物語を
ご覧ください。

安産と子授け

霊験あらかたなお寺
安生寺へようこそ

安生寺の縁起 – 歴史と伝説

縁起

神光山安生寺は、飛鳥時代に役行者によって開基された由緒あるお寺です。

神光山安生寺は、飛鳥時代に役行者によって開基された由緒あるお寺です。本尊は役行者作の十一面観音菩薩で、当初は神光山国生寺と呼ばれていました。奈良時代、文武天皇の皇后が男子の誕生を祈願し、聖武天皇が生まれたことから、寺名を安生寺に改めました。聖武天皇の勅願により七堂伽藍が整備され、弘法大師も滞在して発展に尽力しました。773年、聖武天皇の長女である井上内親王が流罪となり、道中で産気づいた際に安生寺の十一面観音菩薩に祈願し、無事出産したことから、観音菩薩は「子安観音」と呼ばれるようになりました。現在も歴史を感じさせるお寺として、五條市の宇智野に位置しています。

はじまりは、飛鳥時代。
役行者開基。 本尊は十一面観音菩薩。

当寺は大和の国宇智部(奈良県五條市)にあり、高野山真言宗のお寺で、現在は神光山安生寺(しんこうさんあんじょうじ)と称します。創立は飛鳥時代、持統天皇(645-703)の御世、創立者は修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ、634-701)です。彼が葛城山で修行中に、南方の一角が光り輝いたので訪れてみたところ、国生明神と遭遇し、縁をさすかりその地にお寺を創立し、十一面観音菩薩を自ら制作・奉納し、国生明神にあやかり神光山国生寺(しんこうさんこくしょうじ)と名付けました。空も飛べたと伝わる実在の超能力者である役行者(役の小角)が開いたお寺のひとつが、この安生寺なのです。

聖武天皇の誕生。 子授かりと安産に、霊験あらたか。 安生寺と改名。

文武天皇(683-707)の御世、皇后が役行者に帰依し男子の誕生を国生寺に祈願したところ、“霊験たがうことはぐ”皇子が、しかも安産で生まれたので、大いに歓び、子授かりと安産に霊験あらたかなお寺として、国生寺を安生寺と改名させました。この皇子こそ、東大寺建立で有名な、のちの聖武天皇(701-756)です。安生寺と聖武天皇との素晴らしいご縁です。

聖武天皇の勅願。
七堂伽藍整備と弘法大師の滞在。

天平9年(737年)聖武天皇の勅願により七堂伽藍を建立、天地長久の御願寺としました。帰朝した弘法大師も長きにわたり滞在し、発展・繁栄に尽力しました。

聖武天皇の娘、井上内親王。
呪詛と流弾と高齢出産。

光仁天皇(709-782)の御世の773年、その皇后であり聖武天皇の第一皇女でもある井上(いのえ)内親王(717-775)が、呪詛の疑いをかけられ大和の国宇智部(奈良県五條市)に流弾となり、息子の他戸(おさべ)親王(761-775)と共に宇智部にようやくたどり着いた道中で産気づき、痛みに苦しんでいた。そのとき老人が現れ、安生寺の十一面観音菩薩へのご祈祷を勧め、そのおかげで何とか出産を成し遂げました。史実に基づくと井上内親王、御歳57歳。大変な高齢出産です。以来、安生寺の十一面観音菩薩は、“子安(こやす)観音”と呼ばれるようになりました。ちなみに井上内親王が結婚したのは35歳ごろで、38歳で酒人(さかひとノ)内親王、45歳で他戸(おさべ)親王を生んでいます。

年表

系図・相関図

古文書・鐘銘

①和州宇智郡安生寺略徳起
(元禄16年,1703年、江戸時代中期)
②和州宇智郡今井邑安生寺修造之記
(元禄12年、江戸時代中期)
③勸進沙門宗莫敬白
(文明5年 1473年 室町時代)
④梵鍾銘文
(享保14年、1729年、江戸時代中期)

宇智神社⁩写真

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