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子授け・安産・高齢出産のお寺 安生寺

子授け・安産・高齢出産のお寺 安生寺

●●●●●● 縁起 ●●●●●●

当山、神光山安生寺は、たいへんに由緒正しいお寺です。 開基は役行者、飛鳥時代の終わり頃、本尊は十一面観音菩薩(役行者作)で、神光山国生寺と名付けられました。 奈良時代となって、文武天皇の皇后が男子の誕生を当寺本尊に祈願して生まれた皇子が、のちの聖武天皇。 これをもって国生寺の名前を安生寺に変えました。 そして聖武天皇の勅願によって、御願寺として七堂伽藍が整備され、帰朝した弘法大師も長きにわたり滞在し、発展・繁栄に尽力。 773年、聖武天皇の長女、井上内親王(光仁皇后)が都を追われ、当地、大和の国宇智郡(奈良県五條市)に流され、幽閉されることに。 その道中、井上内親王が産気づき苦しんでいるところに、里人なる老人が現れ、勧めに従って安生寺の十一面観音菩薩に祈願し、無事出産し、十一面観音菩薩を子安観音と名付けたと寺伝にあります。 五條市唯一の郷社・宇智神社が隣接する、緑豊かな宇智野を代表する、歴史を感じさせてくれるお寺です。

★はじまりは、飛鳥時代。 役行者開基。 本尊は十一面観音菩薩。

当寺は大和の国宇智郡(奈良県五條市)にあり、高野山真言宗のお寺で、現在は神光山安生寺(しんこうさん あんじょうじ)と称します。 創立は飛鳥時代、持統天皇(645-703)の御世、創立者は修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ、634-701)です。 彼が葛城山で修行中に、南方の一角が光り輝いたので訪れてみたところ、国生明神と遭遇し、縁をさずかりその地にお寺を創立し、十一面観音菩薩を自ら制作・奉納し、国生明神にあやかり神光山国生寺(しんこうさん こくしょうじ)と名付けました。 空も飛べたと伝わる実在の超能力者である役行者(役の小角)が開いたお寺のひとつが、この安生寺なのです。

★聖武天皇の誕生。 子授かりと安産に、霊験あらたか。 安生寺と改名。

文武天皇(683-707)の御世、皇后が役行者に帰依し男子の誕生を国生寺に祈願したところ、“霊験たがうことなく”皇子が、しかも安産で生まれたので、大いに歓び、子授かりと安産に霊験あらたかなお寺として、国生寺を安生寺と改名させました。 この皇子こそ、東大寺建立で有名な、のちの聖武天皇(701-756)です。 安生寺と聖武天皇との素晴らしいご縁です。

★聖武天皇の勅願。 七堂伽藍整備と弘法大師の滞在。

天平9年(737年)聖武天皇の勅願により七堂伽藍を建立、天地長久の御願寺としました。 帰朝した弘法大師も長きにわたり滞在し、発展・繁栄に尽力しました。

★聖武天皇の娘、井上内親王。 呪詛と流罪と高齢出産。

光仁天皇(709-782)の御世の773年、その皇后であり聖武天皇の第一皇女でもある井上(いのえ)内親王(717-775)が、呪詛の疑いをかけられ大和の国宇智郡(奈良県五條市)に流罪となり、息子の他戸(おさべ)親王(761-775)と共に宇智郡にようやくたどり着いた道中で産気づき、痛みに苦しんでいた。 そのとき老人が現れ、安生寺の十一面観音菩薩へのご祈祷を勧め、そのおかげで何とか出産を成し遂げました。 史実に基づくと井上内親王、御歳57歳。 大変な高齢出産です。 以来、安生寺の十一面観音菩薩は、“子安(こやす)観音”と呼ばれるようになりました。 ちなみに井上内親王が結婚したのは35歳ごろで、38歳で酒人(さかひとノ)内親王、45歳で他戸(おさべ)親王を生んでいます。

井上内親王スポット